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熊本地方裁判所八代支部 昭和54年(わ)83号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

押収してあるビニールパイプ一本及び棒切れ三本をいずれも没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、熊本県葦北郡○○町大字□□×××番地に、妻甲野ハナ(当時五四歳、以下ハナという)、長男甲野一郎(当時二六歳、以下一郎という)と居住し、農業をするかたわら、一郎と共に、出稼ぎ、工事人夫等の仕事をして平穏な生活をして来たが、昭和五四年三月中旬ころから、一郎が、結婚問題の悩みからうつ状態に陥り、被告人らに対し、「俺の眼を見て、誰もが恐ろしがる。」「眼が痛い。狸越えの工事現場で焚き火をして、その煙が入ったっだろうか。」等奇異と思われることを言い始め、やがて仕事にも出なくなったことから、被告人は、一郎が以前工事人夫として働いていた葦北郡芦北町女島の狸越という場所が、古くから人を欺す狸が出るところであると伝え聞いており、その狸が一郎にとりついたのではないかと考え、同じ様に信じていたハナと共に、一郎を祈祷師の所に連れて行くなどしているうち一郎も一旦は元気をとり戻したが、四月の中旬ころから、再び、「誰でも俺の眼を見て、恐ろしがって逃げていく。」「俺とにらめっこするぞ。俺の眼を見てみろ。」と前同様奇異なことを言ったり、夜中に突然ハナに組み付いていく等の行動をとる様になったことから、被告人はいよいよ一郎に狐か狸がとりついているものと思い込み、油揚を仏壇に供えて拝んだり、ハナと共に、祈祷師を数か所も回って、託宣を聞いては、まじないを実行してみる等一郎の平癒を願っていたところ、間もなく、ハナも、一郎を見ては、「そこに狐が来ている。ほらそこにいる。」「家がミシミシする。のどに痛みが走る。」等と言い出したため、被告人は、一郎にのり移っている狸が、今度は妻にのり移ったのだと思い込み、五月三日には、嫁いでいる長女乙山春子(当時三四歳、以下春子という)を被告人方に呼び寄せて、妻ハナの看病をさせ、あるいは、祈祷師の所に連れて行かせたりしたものの、ハナ、一郎ともに、一向に回復のきざしが窺われず、同月五日夜には、二人に続いて、春子も、突然、「私の肩のところに誰かが乗っている。押えつける。」等と言い出し始め、被告人は、同月六日、嫁いでいる次女の丙川夏子(当時三〇歳、以下夏子という)も被告人方に呼び寄せて、看病にあたらせていた。

(罪となるべき事実)

同日午後四時ころ、前示のような状態になって苦しみ布団に横たえられていた春子の横に、一郎が上半身裸になって寝転び、春子の左肩辺りに自分の右肩をこすりつけたところ、突然春子が、「ここに狐が来た。ほら、狐が。」と大声をあげて、一郎に飛びかかったので、一郎が驚いて、そばにいた被告人を押しのけて、南向縁側の方に行こうとしたが、被告人、春子、夏子及び居合わせた次男甲野二郎(当時二四歳、以下二郎という)等でとり押えたところ、一郎が、「俺は狸だ。狸の少尉だ。この家にもう四〇日前から住みついている。」と大声でわめき、自分の右肩付近を指さして、「狸がここにいる。ここを打て。」と言ったため、春子が「今、仇きをとれ。早く狸を追い出せ。」と言いながら、一郎に殴りかかり、ここにおいて、被告人、春子、夏子及び二郎らは、一郎の右肩に狸がとりついているならば、それを叩き出してやらなければならないと意思を相通じさせ、こもごも手拳で一郎の右肩付近を何回となく叩いたり、狸をいぶり出すために、夏子が炭入れにニラを燃やして来て、一郎の右肩に近づけたが、なおも一郎が暴れまわるため、被告人は、拳ぐらいでは、効果がないと思い、春子等に、一郎を縁側に押えつけさせたうえ、同女に、被告人方の車庫から棒(《証拠省略》の棒切れ三本は、その棒が折れたもの)を持ってこさせ、それを使って、一郎の右肩付近を力一杯、執拗に殴打し続けたが、その内、棒が折れてしまったので、そのころ一郎が「痛か、痛か」と言うのも、狸が言わせているものと妄信して、春子に対し、「棒の割れた。他の物ば持ってけ。」と指示し、春子をして、被告人方物置から長さ約三八センチメートルのビニールパイプを持って来させ、そのパイプで、再び、執拗に一郎の右肩を乱打し、更に、一郎が応えていないと見るや、春子に、別の物を持って来るようにいいつけ、同女が、長さ約三〇センチメートル、直径約四センチメートルの柄の付いた鳶口を持って来たので、その裏金部分で直美の右肩を二、三回殴打した後、その柄の部分で集中的に殴打し続け、同人に前胸左外側部に皮下出血、顔面損傷、背面約三分の一にわたる皮下出血、さらにはくも膜下出血等の傷害を負わせ、同日午後七時すぎころ、被告人方南向縁側において、右傷害に基づく外傷性続発性ショックにより同人を死亡するに至らせたが、被告人は右犯行当時心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

(一)  弁護人は、被告人の本件行為は、被害者の承諾によるものであるが、このような殴打行為は、地域によっては身体についた「つきもの」を追い出すために、風習もしくは信仰として社会的に認められているところであり、被害者の承諾によって、その違法性は阻却される旨主張する。

《証拠省略》によると、被害者一郎が、五月六日午後四時ころ、同人の右肩を春子の左肩にこすりつけた直後、大声で「ここばたたけ、ここばたたけ。」と言ったことから、被告人等は、一郎を殴打し始めているのであり、被害者の承諾のもとに行なわれた犯行であることが窺われる。ところで、被害者の承諾が違法性を阻却するというためには、その承諾が、被害者の真意かつ自由な状態でなされることはもとより、被告人の行為が社会通念上相当と認められる限度を逸脱していない場合でなければならないと解すべきところ、被告人は、本件犯行に使用された器物である棒、ビニールパイプ及び鳶口の金具あるいは柄の部分で執拗に前後三時間余りにわたって数人がかりで押えつけて殴打し続けたこと、被害者の受傷の部位程度は、前胸左外側部に皮下出血、背面約三分の一にかけて広範な表皮剥脱、皮下出血、そのうえ、くも膜下出血まであり、本件殴打行為は、生命侵害の高度の危険性を有していたものと認めるのが相当であること等の事実を考慮すると、社会的に相当と認められる限度を超えた行為であることは明らかであり、被害者の承諾があっても、違法性は阻却されないと解すべきである。

(二)  なお、弁護人は、被告人の本件行為は、被害者一郎の健康回復のためのいわゆる治療行為である旨主張するので、この点につき附陳するに、違法性阻却事由としての治療行為は、医学上医療行為として一般に承認されている方法によらなければならないところ、被告人の採った前示のような殴打という方法がそれにあたらないこともちろんであるから、違法性は阻却されない。

ちなみに、被告人が本件行為を法の許容する治療行為にあたると誤信していたとしても、被告人は、その行為が殴打という傷害の結果を発生せしめうる有形力の行使であることについての認識を有していたことは明らかであり、そもそも医療行為として認容され得ない行為を正当な治療行為であると信じていたというにすぎないから、いわゆる事実の錯誤にあたらず、したがって本件の場合故意は阻却されない。

(三)  更に、弁護人は、被告人の犯行時の精神状態について、本件犯行前から犯行当時にかけて、妻ハナ、長女春子、長男である被害者一郎が次々と祈祷性精神病にかかり、被告人も家族らの異常な言動は「つきもの」の仕業であると確信し、精神医学上の「支配観念」に陥り、そのために被告人の弁別能力は著しく阻害され、心神耗弱の状態にあった旨主張するので、この点につき検討するに、《証拠省略》によると、被告人は、農家の三男として生まれ、幼年時代から性格はおとなしく、内気で他に追随する方であり、現在、平常においては、肉体的、精神的に特に異常は認められないが、各種の検査結果によると、知能は平均以下で、性格は内気でかつまじめで几帳面なところがあり執着性をも有すること、他からの影響を受けやすく、課題に応じた臨機応変の適応力は乏しく、精神発達の面からは未熟であること、形式的な秩序へのこだわりがあり、他人、とくに権威ある者の言葉は容易に信じ、それに固執する傾向もあり、また感情的には激しやすい傾向も窺えること、さらに常識的適応に乏しく、内罰反応が多いところから、欲求不満場面に遭遇した時に問題を未処理に済ますことができず、自分が悪いか相手が悪いか、その処理に固執する傾向があること、同一想念への執着性があり、主観的判断に陥りやすいこと、潜在的に抑圧された攻撃的性格の存在が認められること、以上のような事実が認められるところ、右は、被告人が外部からの刺激によって容易に均衡を崩す可能性があり、平素の平静さを欠いた場合、意識の変容を来たしやすい精神的構造を有していることを窺わしめるものである。

そこで、本件犯行当時の被告人をとりまく状況についてみるに、判示のとおり、昭和五四年三月ころより一郎が目の異和感を訴えるようになり、それを、以前、同人が仕事に行っていた女島の狸越という、昔から、その地区で狸や狐が人をばかすという所とを家族全員が結びつけて考えるようになり、当時、一郎が結婚問題での悩みからうつ状態に陥ったのを、同人に狸がついたと思い煩い、たびたび祈祷師の所へ相談に行き、祈祷してもらい、あるいはその指示通り、様々な方法で平癒を願っている内に、被告人の妻ハナが、幻聴を訴えるようになり、身体的異和感を覚え始め、そのために五月に入ってからは、被告人は二人の看病に、または二人共祈祷師の所に連れて行くなどしていたところ、五月五日ころからは、看病のために被告人方へ帰って来ていた長女春子までが、精神異常となり錯乱状態となり、精神医学上、「感応」(心理的に結びつきの緊密な家族などの間で、その内の一人の精神病状態が他に影響を及ぼして他にも精神病状態が引き起こされること)と呼ばれる現象が、長男一郎、妻及び長女と続けて起こり、本件犯行当日である同月六日も、早朝から、春子に精神錯乱状態が生じ、午後四時ころ、一郎が春子の身体に自分の肩をこすりつけ始め、異常な行動を示すようになり、突然、春子が一郎に何か「つきもの」がついているかの如く断定したことから、被告人らが一郎の右肩部を手拳で殴打し始め、次第に前記器具等を使用して強打する様になり、ここにおいて、一郎が、痛さの余り抵抗し、逃走しようとしても、そのこと自体、狸がさせていることであり、おとなしくなって始めて狸が一郎の身体から追い出されるのだと妄想し、約三時間にわたって、同人を殴打し続けた事実が認められるところ、ここで被告人の信仰歴をみるに被告人の居住する○○町□□部落では、現在もなお民間信仰がかなり一般的に行なわれ、周辺地域には祈祷師の数も比較的多く、被告人自身や家族及び近隣の者も過去に身体的故障をこれら民間信仰によって直してもらった経験があり、祈祷師の言葉のもつ暗示性の作用がこの被告人の家族には強力であって、その言葉を容易に受け入れる心理状態にあり、被告人も祈祷師への信頼感を強く抱いていたので、前述のとおり、一郎や妻の平癒を祈願するために、祈祷師のところへ足しげく通ったことも認められる。

以上でみたような被告人の精神状態、犯行当時の状況、被告人の信仰歴などを総合して判断すると、被告人の責任能力は、被告人の家族が次々と「感応」し合って、いわゆる祈祷性精神病に陥り、被告人は、その状態にまでは至らなかったものの同人らと同程度に家族の異常な言動を「つきもの」による仕業であると確信し、このような特定の強い思考が、他の全ての思考に優先し、長時間持続する状態、すなわち「支配観念」に陥り、被告人の意識は相当程度減弱され、ために、正しく自己の行為を判断し、その行為のもたらす結果を充分に認識する能力が著しく欠けていたものであり、心神耗弱の段階にあったものと認めるのが相当である。

なお、検察官は、被告人は鳶口で殴打し始めてから、金具のついた方で殴るのは危険だと悟り、持ち替えて柄の方で殴っていること、また殴打中、他人が来たので、犯行状況を見せるのを恥ずかしいと考え中止していること、犯行後、一郎の死亡を知ってから鳶口を家の庭先の畑に捨て警察にも当初そのことを隠していたこと等の被告人の行動、判断等に照らせば、被告人の犯行時の精神状態が刑法上の心神耗弱に該当する程度のものではない旨主張し、一応もっともな指摘と思われる点であるが、《証拠省略》でも触れているように、なるほど犯行の間に右にいわゆる支配観念が短時間うすれ、判断能力が一時回復した時があり、そのような状態下で被告人は検察官指摘のような行動をとったが、それも間もなく圧倒的な支配観念にかき消されてしまっている精神状態にあったと認めるのが相当であり(逆に、判断能力が一時回復することがあり得る程度の精神状態であったという事実は、被告人自身は祈祷性精神病にかかっておらず従って心神喪失状態までには至らない、判示のように心神耗弱の状態にあった事実を裏付けるものと評価することができる。)、また、鳶口を畑に捨てた点は、《証拠省略》によれば、いわゆる支配観念は精神分裂病などにおける妄想とことなり、誤りがあると認められれば訂正可能であるとされており、一郎が死亡したのを認めるや、すぐに自己の考えが誤っていたことに気がついたからに他ならないとみるべきであって、被告人が犯行時心神耗弱状態にあったことを否定する根拠にはただちになし難い。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法六〇条、二〇五条一項に該当するが、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇日を右の刑に算入し、後記情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、押収してあるビニールパイプ一本(昭和五四年押第三〇号の一)及び棒切れ三本(同押号の二)は判示犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

被告人の本件犯行は、一郎に「つきもの」がついたとの自らの支配観念にとらわれて、同人を手拳、棒、ビニールパイプさらには鳶口の裏金の部分及び柄の部分で長時間執拗に殴打し続けて死亡させた事案であるが、その態様は危険かつ悪質なものであり、地域社会に与えた衝撃も少なからざるものがあり、将来のある青年を死に至らしめた責任は重いと言わねばならない。

しかし、本件犯行の背景には、「つきもの」に対する俗信を切り離して考えることはできないところ、「つきもの」が迷信であることは今日健全な常識人にとっては自明のこととされているが、地域によってはいわゆる狸つき、狐つき等と称する俗信が今なおかなり根強く残っており、そのため、時に人権侵害を引き起こし社会的悲劇が発生していることも事実であり、被告人の本件犯行も、その様な俗信を強く信じる地域で、一途に一郎の平癒を願ったうえでなされたもので、その強固なること判示のように他を顧みる余裕がない心神耗弱の状態にあり、しかも死に至す危険性が高い殴打行為は、被告人がなしていると認められるけれども、被告人以外の家族の者が、結果として被告人をいわゆる支配観念に陥らせたことに鑑みれば、一郎を死に至らしめたとして被告人のみを非難するのは相当でなく、いわば家族の者全体がその原因を作出していると考えられるのみならず、被告人は生来真面目かつ仕事熱心で、もとより前科前歴はなく、本件犯行後ただちに自己の誤りに気付き、わが子を死亡させた悲しみにくれ、その冥福を祈る毎日を送っていること等の事情を考慮して、主文の通り刑の量定をした。

よって、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 河上元康 裁判官 豊田圭一 山内功)

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